ほんのできごと。

本のことや、いろいろな出来事、日常のつぶやきなどなど

自分の作り出した世界観へのこだわり。


五月祭での友人の勇姿を見物した後に、目指すは阿佐ヶ谷ロフトA。
ドラマ化もされた『仁』という漫画原作者である村上もとかと、ぽけまんという団体によるトークショーに参加する。
今日のそれは、知り合いの方に情報を教えてもらいチケットを入手したわけだが、阿佐ヶ谷ロフトAにいざ着いてみると、某大手文具雑貨店を想像していた私の予想を裏切るファンキーなライブハウスだった。時間ぎりぎりに入ってみると、そこには中年男女の背中がずらり。
なんだか30年ぶりの同窓会に喜々として集まる元高校生達をを覗いているようだった。


少し窮屈なライブハウスの正面には、村上もとかさんと、進行役の方が座っている。第一部では、『仁』の作品についてのストーリー解釈、制作秘話などであった。

なぜ『仁』が大ヒットしたのか。


それは、内容に一切の妥協が無いからであろう。歴史・医学の分野に監修をつけ、できる限り本来の歴史の流れにそぐうように作る。ファンタジーというジャンルに分類してしまえばそれで終わりだが、『仁』という作品は、ファンタジーの中でも、リアリティーを求め、タイムスリップという点以外の箇所ではできるかぎり現実的な手法で治療法を編み出しストーリーを進めていく。登場人物にしても、仁先生以外の人間で、150年後の世界に行ったことがあるという設定の人物を作ろうとしたときは、史上で実際に100年後からきた人間と言われていたという説のある佐久間象山という人物を当てはめた。そして、坂本龍馬が死ぬときは、彼が見たいと願っていたであろう未来の日本を垣間見せるというシーンを作った。実際に生きていた彼らの人となりや、行動から推測できる彼らの願望に合わせてストーリーを作ることで、ただのファンタジーではなく、現実味のあるファンタジーになる。『仁』は二重性持っていて、ストーリーのきっかけをタイムスリップにすることでファンタジーというジャンルに分類されるが、中身はむしろ歴史漫画と言えるのではなかろうか。

そして、妥協のない作品を描く作者も、やはり仲間からも志高いと評価される人なわけで。

デビュー当初は貧乏で、漫画家としては単行本が出されなければ儲かることはないが、単行本がなかなか出なくても村上さんは連載を続けたそうだ。文字通りジリ貧。しかしなんとかお金を工面して連載を続ける日々。最低限のお金しかないのに、求められるクオリティはより高いもので、編集部の要求に応える作品を作らなければチャンスもなにもない。
とてもシビアな世界である。しかし、そこに漫画家の世界観作りと編集者の選りすぐる目がなければ名作は成立しない。

ふるい落とす編集者の目に残るには、漫画の細部までこだわった世界観、内容が出来上がらなければならないはずで。

私はふるい落とす側の人間を目指す。それには、作家のニュアンスを敏感に察知し、的確な意見を与えられる人間にならなければならない。

「評価」

とてもシビアで残酷にも見える言葉ではあるけれど、それができない人間は何もわかっていないのと同じなのである。

評価できる人間になるために、量が質となる生活をまずは送らなければならない。漫画家にも小説家にも求められ、求めることのできる人間になるために、考えながらも行動に移していこう。