ほんのできごと。

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そもそも哲学の根源ってなんだ


「哲学をしたいなら、まずは哲学を哲学しなければならない。」

衝撃的かつ核心を得ている言葉であった。
この言葉の前に、私は打ちひしがれるしか術はなく、そして私は脱皮をしなければならない段階に来ている、というか、すでにしているべき段階に来ているということに、まだ見ぬ朝を知らせる光のように漠然且つ壮大なスケールで私に道標として立ちはだかってくれたのだ。

「なぜ君は哲学なんて役に立たないものをするの?」

「元々、国際関係と文学のどちらかを勉強したかったが、双方を評価できる人間になるなら思考方法の原点である哲学をすればいいと考えました。」

「哲学をするならば、物事の根本立ち返らなければならない。歴史を考えるとき、根本は二分されて流れを追っていくことになるよね。文明と文化。この二つに分けられて歴史は紹介される。いわばこの二つが根本にあるわけだよ。君は文明と文化の違いを説明できる?」

「文明は科学の発展で、文化は人の思想を追ったものではないのですか?」

「それらしきことを半分くらい言っているけど、落第だね。」

(意気消沈)

「哲学は根本を理解しなければ、どんなに上部構造を知ったところでなんの役には立たない。実存主義があるのはなぜ?実存主義とかなになに主義とかっていうのは、人類全体の悩みを解決しようとしてできた思想形態でしょう?それなら、それらの悩みは一体どこからくるの?それは人間に意識があるからでしょう?意識があるから人間は悩む。じゃあ意識はどうしてできる?それは言葉があるからだ。言葉は聖書によれば、ロゴス、つまりは悟性からできる。君は全ての根源ともいえる、言葉が誕生した瞬間から考えを巡らせなければならないはずだよ。
哲学をしようと思うなら、哲学の本質に遡らなければならない。悩みが言葉という宇宙の本質から出たものならば、それを解決するのもまた哲学なのである。」

私はいつも自分がなぜ哲学をしたいのか考えていた。しかし何度考えても、出てくるのは「体系的な思考方法を身につける」ということでしかないのだった。

しかし今日私の師としてこれから関係を築きあげさせていただきたいと思った方とのお話で気付かされたことはたくさんある。

・世に数多くある哲学思想は、その時代の民衆が抱える悩みの解決法である

・悩みの一部だけを思考の対象にしたとしても、それは社会の役に立つことはない。一部を理解するには、根本を知る必要があるからだ。


そして、同時に真に優秀な編集者への見解も教えてくださった。

「私の考える優秀な編集者は、作家の伝えたいメッセージを理解して、それをより伝えやすくするために論じあえる人です。」

「それは違うよ。編集者が作家と内容について論ずることができるなら、編集者自身が作家になればいいよ。それに、論ずることに重きを置くとしたら、その編集者は自分の考えの範囲内で理解できる作品しか作ることができない。編集者にとって大事なのは、大物作家となれる素質を持つ作家を直観で見つけることのできる能力だよ。それには編集者にも、高い水準の知識はもちろん必要だ。」


愕然としたのである。

今まで、なぜ編集者になりたいのか散々考えてきたけれど、根底から覆されたようだった。


ドストエフスキーなど、文豪と呼ばれる作家を産み出したかった。
その考えはあっているのだろう。

しかし、その目標に至るまでの考えプロセスが間違っていた。

ドストエフスキーもヘッセもヘミングウェイも、彼らの時代に色濃い悩みを、イエスが人々の身代わりとして十字架を背負ったように、代表して考えるという意味で、十字架を背負うことで文学に向き合った。いつの時代も、文学は民衆の悩みを理解して表現するものでなければならない。
それには、編集者は時事問題に積極的になり、今人がなにに悩んでいるのかを徹底的に分からなければならないのだ。時代の先見ともいえる技を、これから私は磨いていこう。


学問、人生における指針ががらりと変わった数時間であった。